あの老夫婦のように寄り添いながら最期のときを迎えたい

あの老夫婦のように寄り添いながら最期のときを迎えたい

前回の記事のように、自転車世界一周に出会いを求めるのは間違いではなかった。気づいたのは旅の始めの方だった。だから、何とでもなるはずだった。

旅をしていると異性と出会うことは多い。日本人の集まる安宿で仲良くなれたりする。特に私は自転車の旅だから目立つ。「ブログやってるんですか、旅の行方が気になります」「情報交換しましょう」とでもいえば、簡単にメールアドレスもゲットできる。SNSも交換できる。そのくせ私は旅が長かった。名前を呼ぶときに「スズキさん」と苗字を使うとむず痒くなる。「ハナコさん」と自然と名前にさん付けができた。気になった人にはメールを送ったりもした。

出会いは豊富だった。だが、誰一人振り向かすことができなかった。自転車で同じような旅をしながら、生涯の伴侶を射止める人だっているのに。だったら、私は人間的に何か足りないのだろう。「不良品」「できそこない」といった言葉が頭に浮かんでは気が滅入る。死にたくなる。

そもそも海外を一人で周るなんて誰でも出きる。一人は楽だ。好きな時に起きて好きな所にいける。誰とも合わす必要がない。若いうちは、それでも良かった。だが歳を重ねるにつれて、不安が大きくなる。一人では生きたくない。それなのに嫌になるほど失敗する。人生で唯一のお付き合いは、2ヶ月も持たなかった。

このような散々な恋愛経験しかない男だけれど、結婚は諦めていない。一人で生きていくことが怖い。そりゃ、それなりに友だちだっている。机を囲んでワイワイ話したりする。だからといってすべてを話せるわけではない。埋めることのできない隙間がある。その隙間をひょいと乗り越えて、私という存在をすべて肯定してもらう。それが結婚かなと思っている。もちろん一方通行ではない。私だって大切な人の存在をすべて肯定する。

すべての人は必ず死ぬ。納得はできないがいずれ死ぬ。じゃぁ、どうすれば安らかな最期を迎えるかとしたら、それは愛する人を見つけることだという気がしてならない。そして、自分の子どもを育てあげること。だから、浮気や不倫なんて考えられない。大切な人を傷つけたりしたら、最期のときに笑えなくなる。ほぼ童貞をこじらせた感もあるが、死という空虚なものを前にして、たどりついた私なりの答え。

オーストラリアで見た光景は忘れられない。

西海岸を走っていると「ピッピッピーーーー」と騒がしく鳴り響くクラクション。もしかして緊急事態かも。気になって駆け寄る。ところが何も問題もなく、ただの修理だった。2組の夫婦に2台の車、彼らはここに泊まるという。「あなた、どうするの、せっかくだから一緒に夕飯もどう?」と誘われて一緒になった。オーストラリアを走るとたまにこんな事がある。焚き火を使って作られた料理を頂いた。

そして夜になる。大抵オージーはキャンピングカーを牽引している。一組はそんな感じだった。でも、もう一組の老夫婦は違った。牽引している裸のトレーラーに布団を引いて、そこで寝るというではないか。頭上を遮る物は何もない。見上げたら一面の星空。隣には最愛の人。衝撃的だったけど、何だか羨ましかった。

私もそんな2人になりたい。そして一緒に死にたい。

 

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