春の雨生山

春の雨生山

前回書いたとおり、この時季は居ても立ってもいられず、
思い立って、浜松の三ヶ日にある雨生山(うぶさん 318m)に行ってきた。
新緑がきれいだろうし、なにより春の草花に会えるのが楽しみ。天気も上々。
自宅から車で40分ほど。それほど遠くへ出かけるわけではないが、
リュックサックに地図や図鑑、着替えや弁当などを用意して
目的の
山へ出かけるのはワクワクする。
それが楽しみに感じるというのは、そうすることが”自由”を感じるからだろうか。

登山道を歩きはじめてすぐ、スギの植林地の下にヒトリシズカが群落になって咲いていた。
派手な花ではないけれど、独特な姿で印象的だ。
じっくりと見れたのはこれが初めてかもしれない。
が、ここでカメラを忘れたことに気がついた!
久しぶりの山歩きで用意するのを忘れてしまったのだ・・・。
仕方がない、今回は記憶に残そう、と自分をなぐさめる。
(ということで、今回の写真はすべて去年のものです・・)

コナラやアベマキの生える広葉樹の林を登っていく。
コナラもアベマキもいまが芽吹きのとき。まだ光が透けるかのような淡い緑だ。
本来、このあたりの植生はシイやカシなどの常緑樹の林になるのだけれど、
人間がそうした林を伐ることで、コナラなどの落葉樹の林になったりする。
落葉樹の林は春は新緑、秋には紅葉、落葉があって目にも美しい。
人の手が入ることも悪いわけではないな、と思う。

 


20分ほどで山道を登り切ると尾根に出て、それまでの風景が一変する。
どういうわけかこのあたりには高い木の生えることがない。
その代わり、高させいぜい2~3メートルのハイネズやアカマツ、そしてマルバアオダモや
ドウダンツツジといった木々が生えている。このあたり一帯は確か蛇紋岩というちょっと変わった
岩に覆われているらしいから、そのせいなのかもしれない。
おかげで春の光を浴びた奥浜名湖を眺めることもできる。

 

 

 

 

そんな尾根道を歩きながらミヤマシキミ、タチキランソウ、メギ、ドウダンツツジなどの花を見た。
こんな花に注目する人はあまりいないけれど、花の咲かない植物はない。
植物好きにはどんな花にも関心が向かうのだ。

頭上にはヒョウモンチョウの仲間やナミアゲハが舞う。
ヒョウモンチョウは羽根が傷ついているので越冬固体、ナミアゲハはもう羽化をしたのだろうか?
春だ。
足元にはたくさんのカナヘビ。天気に誘われて続々と出てきた。
わたしの靴音に驚いて逃げ惑う。まだ枯草が多いので、そこかしこでガサガサと音がする。
誰もいない山の上で浜松の春を満喫だ。

 

 

さて、いよいよお目当てだったハルリンドウの花がこのあたりにあったはず。
登山道をそれてあちこち探してみる。が、なかなかみつからない。
おかしい、確かこの辺にあったはず。もうちょっと先のほうだったか、
などと去年の記憶をたどりながら探していくと、あった!
ハルリンドウは日当たりのいいちょっと水気のある草原に咲く、青くてラッパのような形をした花。
天気が悪いと閉じてしまい、その姿はまさに春の宝石、といったところ。
ハルリンドウも群生するので、タイミングがよければお花畑のようになる。
今回はタイミングがよかった。自分の体力だけで手に入る宝石。

 

 

山頂付近で昼食。いま、ここには自分だけしかいない、という感じ。悪くない。
ただ、今日は早々と山を下りる。これから家族の夕飯作りが待っている。

山道を下り切り、車を止めた場所まで林道をてくてく歩いていると、
どこかで聞いたようなきれいな声が聞こえてきた。
ちょっと早い気もするが、もしかしてあの鳥がもうやって来ている?
まだ時季が早いので上手く鳴けてないけれど、この独特の節回しは・・・
あっ、あの飛んだ姿はもしかしてっ・・・
恐る恐る追いかけて、なんとか双眼鏡でその姿を捕らえると、やはりオオルリだった。
オオルリは4月中旬~下旬にかけて遠く南の国からやって来る渡り鳥。
その姿はオスであれば、背中の羽根が深い青色で、黒いお腹に白い紋のある尾羽。
鳴き声も美しく、一度その姿を見れば忘れない。
ハルリンドウもだが、自然界のなかで青色というのは、なぜか印象に残る。
そして、いままでは仕事の一環で見ていたけれど、今日は単なる遊び時間。
遊びで見るのもなんだか楽しい。
それにいままでで一番早い時期の出会いじゃないだろうか。
足元を見れば、これまた春の使者ビロードツリアブが低空飛行を繰り広げ、
また一年が巡ったとうれしくなった。

人の世を離れ、山や森という世界に身を任せてみる。
するとそこには人間以外の生き物たちが元気に生きる姿があって、
なんだかこちらも元気になって、また人の世でもやっていこう!という気持ちになる。
肩書のある自分を忘れ、ただ見る、ただ聞く、ただ感じているだけの
“なにか”(人の世ではそれを”自分”とか”奥田裕介”と呼ばざるを得ないのだが)
そんな何物でもない“なにか”になれる山や森がわたしには必要らしい。

 

 

6 いいね!
読み込み中...