自転車世界一周という夢をかなえた後の人生について
- 2019.04.25
- Shuutak

自転車日本一周のとき、ひと回り違う旅の先輩から「若いころに自由に遊んでいた代償は歳をとってからやってくる」と教えてもらった。自転車世界一周のときにも、それは頭にあった。でも、やれることをやらなかった。インターネットメディアで記事を書かせてもらっていたが、もっと文章力を付けるべきだった。語学だって好きは好きだが、現地の小学生と会話が通じるかも微妙で仕事に使えるレベルでもない。社会に通用するような資格も技術もなくて旅を終えた。ちなみに自動車免許証も持っていない。
自転車世界一周は終わった。否応なしに現実に引き戻される。旅が終わってしばらくは、この経験を仕事にできないか試していた。本も出すつもりで文章を書いていた。でも、うまくいかない。いつまでも過去の旅にしがみつけないので、期間工として働きに出る。それなりにお金は貯まる。でも、どこか物足りない。旅先で会った還暦を過ぎた元バックパッカーのようになれそうにない。でも、人生そんなものかもしれない。
このような結果になるのは不甲斐ない自分のせい。やるべきことをきちんとこなしていたら、もっと未来は違っていた。でも、仕方ない。誰もが必ずしもスーパーマンになれるわけでない。自分を責めすぎると死にたくなる。精神的によろしくない。だから、できないことはできないと開き直る。どんな形でもいいから、最期まで人生を全うするために生きている。
自転車世界一周の始め、オーストラリアで「火の鳥」という手塚治虫先生の漫画を読んで「人生で何をやり遂げるか?」と考えるようになった。とりあえず今は「自転車で世界一周した」と答える。そしてもう一つ、この人生で何かしら大きなことをやり遂げたい。結婚や子育てとは別。次は「ゲストハウスを作りました」と答えたい。一筋縄でいかなかったが自転車世界一周はできた。だから、ゲストハウスも何とかなると思っている。
これまでの人生に納得している。でも、満足ではない。今ここにいるのは、これまでの選択の積み重ねの結果。そして、ここからも選択をしていく。少しでもマシな未来にできるように、諦めることなく歩き続けていきたい。最期まで歩き続けていきたい。
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