アウトドアについて考える

アウトドアについて考える

今週も家と職場の往復が続いた。
いまの職場は重度の障害をもつ方の寮なので、
一旦、なかに入ると基本的にすべてのドアを閉じねばならない。
利用者の方の脱走の可能性があるからだ。
アウトドアとは真逆の世界である。

したがって、鍵がかけられたある一定の空間で
利用者の方々は暮さねばならない。
本人の意志がどうであれ、ドアの外へ出ることが本人にとっても
その近くに住む人たちにとっても“危険行為”となるからだ。
もちろん、職員が付き添えば散歩にも行くし、買い物にも行く。
ただ、その人自身でドアの外へ出ることは許されない。

そのことを利用者の方がどう感じておられるかは
わたしには分からない。
ときどき、外へ出たさそうにドアの近くへ寄って行ったり、
他の人に付いて出ていこうとする姿が見られるから、
ドアの外へ出ていきたい人もいるのだろう。
でも、それをやさしく、ときには強く阻止すれば、
それ以上、出ていこうとされる人はほとんどいなくなる。
自分一人ではこの部屋の外へは出られないのだと、
無意識のうちに分かっておられるのかもしれない。

4畳半ほどの自分の部屋と、20畳ほどのリビングが彼らの居場所だ。
全員で9人がまとまって暮らしているから、リビングにはたいてい誰かほかの人がいる。
自分の部屋に鍵をかける発想なんてない(できない)から、
常に他人が勝手に出たり入ったりもしている。
自分だけの空間もなければ、そこから外へ自由に出ることも許されない。
それでも、彼らがそのことに不満を感じているかといえば、そうは思えない。
彼らにとっては生まれたときからそれが普通で当たり前。
何事もなかったようにいつも平気な顔して過ごしているのだ。

翻ってわたしはどうか?
若いころは海外なんかにもよく出かけたが、
いまや収入や休日の関係でそんなことはとても叶わない。
名古屋や東京だってはるか彼方の場所に感じる。

それでもなんとかやっている。
近くの山を散歩したり、好きな本を読んだり、音楽を聞いたり。
要は知らない世界にふれること。
そのことがその人の栄養となり、生を豊かにする。
だからアウトドアって楽しいものになるんじゃないかな。

 

 

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