梅雨のつかの間の雨上がりには
- 2019.07.03
- Reiko

梅雨の季節はごあいさつのフレーズもなんだかどんよりしたものになりやすく。
じめじめしてますねえ。。とか、うっとおしい日が続きますねえ。
ムシムシしますねえなど。
窓から見える雨の日の木々は、いつもより深い緑色。
艶やかで静かだ。
こちらの心持ちもそのように動かされるものです。
夜明けとともに鳴く鳥たちも、霧雨の日などはいつもより美しい鳴き声のような気がしたり。
きっと潤いのおかげで喉の調子も良いのであろうかな。
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そういえば、早朝に森の奥から聞こえる鹿の雄叫びも雨の日は聞こえないし
お昼頃通っていく猿の軍団も来ることはない。
みんなどうしているのかなあっと森の向こうを眺めながらぼんやり思ってみたりする。
だって、目の前は山なのだもの。
とかなんとか、都会に疲れて田舎暮らしを始めた人のようなことをつらつらとゆうてはみても土着民。
そことは少し合間見れれない感覚があったりなかったり。
おぞましいことが不意に口から飛び出して、ゲっとなる。私が分析する移住者と土着民の違いはそこにある。
そのおぞましい表現は、同じ血が流れている民には理解がたやすいが
同じことを言ったとしても、それが血からのものかそうでないかが、感覚でわかることがあったりする。
あーそうね、と普通に会話が続く場合と、うん?というときだ。
だから見えない一線が存在していることを、掘り下げて意識する人としない人、千差万別、田舎界の人間生態系。
あれ、また脱線してしまった。題名通りの話のながれになったことがないのです。
結局のところ題名なんてどうでも良いのだ。ブログを書くときは題名から書くのが正しいのか、一番最後に決めるべきか。。
最後に決めるとなる場合、私のブログなどは万年 「とりとめのない話」とつけざるおえない。
しかし、題名を最初に決めなければスタートラインにたてず、その場でグルグル回る羽目になってしまうし、悩ましい。
梅雨の季節、庭の木々の緑深く、つかの間の雨上がりに、小さな生き物の営みをそっと覗いてみてみましょう。
雨降りの間は、みんな葉っぱの裏とかで雨がやむまでじっとしてたり、巣にこもったり。今朝は葉っぱの茎に尺取り虫を見つけました。
見つかった先方は、私はしゃくとりむしじゃあないですよ。単なる枯れ枝でございます。風で飛ばされてちょうどこの植物の茎の部分に引っかかっちゃたんすよね。
を体で一生懸命表現していました、完成度の高いパフォーマンスだ。このしゃくとりむしの真似ができるとすれば
先日観てきたNDTの世界最高峰のバレエダンサーの方々くらいではないだろうか。それくらい、昆虫のパフォーマンスは芸術的なものである。というか
人が自然や形のないものを体で表現し、観ている人の心を震わせることをアートという。と思う。先日のNDTの公演は素晴らしかった。
本物に触れる機会がもっと増えたら、人の人生の生き方の選択肢が増えるのではないか、より豊かで、洗練された、幸福感のある。
・・・梅雨のつかの間の雨上がり、しゃくとりむしの隣でチマチマ草をむしる。
蜂が飛んできたと思ったら、蜘蛛の巣に引っかかる。より一層騒がしく羽を動かしてなんとか逃れようとする、ところに
すすすすーと蜘蛛の巣をつたって主人が近づいてゆく。
草を取りながら、一瞬自問自答する、助けるべきか、いなか
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