レイチェル、大衆演劇を語るの巻

レイチェル、大衆演劇を語るの巻

現在うちには

第4令となるカイコがおります。

小石丸という原種の蚕。元ブログ仲間の仙台のRINちゃんが

繋げてくれたご縁で我が家にやってまいりました。

第4令ともなると食欲が半端なく桑の葉をせっせと取りに行く毎日でございます。

通りすがりの車の人たちはきっと怪しいやつだと思っているに違いありません。

先日友人に誘われ近くのラドン温泉に大衆演劇を観に行ってきた。

素晴らしかったのです。

芸能とは何ぞかを教わった気が致しました。

日々の稽古のひたむきな努力を指の先の先が語る。

どれだけまばらな客席であろうと、その表現の細部に至るまで手抜きなどしない。

その姿勢に尊敬の念を抱いた。今日の私は真面目である。

彼らを真面目に語らなければ失礼だと思った。

たかがと思う人も多いかもしれない、されど大衆演劇だ。

その歴史は古くもはや国宝級伝統芸能だと私は思った。

大衆演劇を笑うものに芸術の何ぞを語って欲しくはない。と強く思う。

いつも思うのです。

名も知れぬ人々の、その人が一つずつ人生をかけて積み上げたものの

なんと美しく重厚であるか。当の本人がその価値を大それたこととせずしてさらっと生き抜くのだ。

それが名も知れぬ人々の、名の知れた人の太刀打ちできない凄み。

歴史に残るものだけが芸術なんかではないと私は思う。

今生きているリアル。人の心を和らげ、癒し、笑わせ、泣き、

観客の心に何かしらのさざ波を立てる。

それはしっかりと積み上げた努力が培った基礎の上でのみ可能なのだ。

今月末のファイナルステージを

私はきっと観に行くことだろう。

 

 

 

 

 

 

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