いびがわマラソン2019 後編

いびがわマラソン2019 後編

先週に続き、欠場男子に代わりフルマラソンを走ったお話です。
頼りにしていた時計係の後輩がいなくなってしまったにも関わらず
走り続ける私!
無事ジビエは食べられるのか?
無事ゴールできるのか?!

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・20キロ〜25キロ

やっと20キロまでやってきた。
21キロの折り返し地点にシビエ(鹿)があると聞いていた。
どこだろ?どこだろ?と思い走る

しかしもうジビエはなくなっていた。

レース終了後に知ったがジビエは限定3500個だった。私のようなドベケツランナーに食わせる鹿はないのだ。ちーーーーん。

ないとかほんとに衝撃である。
これを楽しみに走ってきたのに。21キロ。

確かにジビエにつられて、ジビエが食べたくて21キロ走ってきた。
ジビエたべれなかった。
しかしそれでも半分きちゃったしなあ、と思い走り続ける。

そしてジビエから少し走ったところにあったエイドで、バナナ三本と、チョコレートを鷲掴み、スポーツドリンクを3杯、恨みを晴らすかのように飲み食いした。

はしりつづけて24キロに差し掛かる頃、
急に身体が辛くなってきた。
バナナを3本食べたからか、スポーツドリンクを飲みすぎたのか、
はたまたただの疲労なのか、私には分からなかったが少し立ち止まりストレッチをした。
もうこの辺りから後輩Mはきっと、追いついてくることはないなと諦めた。

・25キロ〜30キロ
けっこう辛かったのであまり覚えていないが、下り坂の勾配がきつく、脚の疲労はさらにつらいものとなった。
完全に山道だ。(まあずっと山道だったが)
1キロがとても遠い・・・。

坂の途中で4つん這いになっている男性がいた。
すると高齢の男性(おそらく70代前後の一般ランナー)が走って少し戻ってきて、男性に声をかけていた。
めっちゃ優しいな爺ちゃん、と感動した。

そこからもう少し走ると、山際でめちゃめちゃ吐いてる男性がいた。もはや地獄絵図だ。ここは地獄なのではなかろうか。
あまり意識をそちらに向けるともらいゲロしそうだったのでスルーした。
高校のマラソン大会の件もそうだが、
マラソンというスポーツはその人の性根がよく分かるスポーツなのではなかろうか。とこの時思った。

大の成人男性二人がダウンしているのを目の当たりにして、フルマラソンの恐ろしさを知った。
この時、

・怪我せず
・あわよくばゴール

という当初の目標に

・医者の世話にならない

が加わった。
脱水症状とかいろいろ急に怖くなったので、先ほどのアルミホイルに包まれた塩(もはや手汗ですごいことになっている)を舐めながら走る。

その後近くのエイドでまたもやバナナを二本もぎ取り、水やら色々3杯くらい飲む。
あんぱんみたいなのもチラッと見えたが、
口がパサパサになるとやだしなあ、と思い諦めた。

バナナは素早く皮を剥いて、一本は左手につかみ、もう一本も左手の指の間に挟みながら走って食べた。ついでにチョコレートも鷲掴みしてポーチへ入れて、食べながら走った。
う〜〜〜〜ん、バナナ美味しい。チョコレートも美味しい。
しかし、
今日のお昼ごはんてもしかしてバナナとチョコだけで終わりなんじゃない?とふと気づく。あんぱん貰っておけば良かった。と、悲しくなる。

・30キロ〜35キロ
下り坂メインだが、たまにある上り坂が辛く、途中少し歩いてしまった。
脚の疲労がピークに達する。とにかく脚が痛い。太ももの筋肉が。

沿道で応援してくれている、子供達が可愛かった。
ハイタッチしてくれて癒された。

そのあとにいた中学生軍団の一人が「よく走るよな〜」といっているのが聞こえた。誠にそうである。なぜ私たちは走るのだろうか。なぜ私は今走っているのだろうか。ジビエにもありつけず、マジで謎である。

途中のエイドで味噌汁をもらった。あったかくて癒された。
ノボリに「みそスープ」と書いてあった。
「味噌汁」じゃダメだったのだろうか。

・35キロ〜40キロ
右足の小指の下の骨らしき部分がいたくなる。
右足を出すとかなり痛い。
かなり痛かったので、たまに歩きながら、ゆっくり走る。
ここまできたらもう進むしかない。
一応走ってはいたが、歩いた方が早かったのかもしれない。

途中のエイドで大福やらコーラやらもうなんでもいいで出しとけ感のある食べ物を色々食べた。
私はプチシューが好きなので、プチシューをお姉さんが渡してくれたときめちゃめちゃ嬉しかった。

その後も走りつつ、途中で辛くてたまらず立ち止まるが、立ち止まっても筋肉が焼けるように痛い。
もう走っても歩いても痛いなら走った方がいいよね。。と頭ではわかるが走りたくない。
しかもなぜかここから腰も痛くなってきた。

・40キロ〜ゴール
引き続き右足が痛い。
足全体が痛かったが、特に先ほどの骨のとこが痛い。
走りすぎて足の裏の肉がなくなっていて、骨でてんじゃないかな、と本気でしんぱいになった。

それでもわたしは走り続ける。
ここまできたら、ゴキブリくらいしぶとい。
最後の最後の堤防の直線が長かった。
そしてなぜか、路肩にでっかいミミズがたくさんいた。

目の前に、私と同じくらいのスピードで走る爺ちゃんを見つける。
爺ちゃんもここまで来たのか、爺ちゃんなのに侮れんな、爺ちゃんまじすごいな、と爺ちゃんに敬意の念を抱く。
私も歳を重ねても、フルマラソンに出れるくらい元気でいたいものである。

41キロを超えると、
なぜかは知らないが急に脚の痛みが治まる。
ランナーズハイきたかこれ?と思うが今更かよ〜とも思った。
最後の橋の手前で高橋尚子(本物)がいてハイタッチしてくれた。木の板のように硬い手だった。

最後の500メートルはかなりぶっ飛ばしてゴールへ向かった。
ランナーズハイ(?)で羽根が生えたのかというくらい身体が軽い。

沿道の人たちはきっと、こんな元気なのになんでこんなに後ろから来るんだよと思ったに違いない。
しかし本当にさっきまで死にかけていたのだ。脚に至っては死んでいた。

ようやく私は、ランナーズハイ(おそらく)で脳内麻薬によりトランス状態に陥ることができたのだ。
「ナイスラン」と沿道のおじいちゃんと孫の声援と笑顔が嬉しかった。

フルマラソンさいこーーーーーー!!!!!とこの時思った。

そして、おそらく500メートルでかなりの人数を抜き去りゴールした。

5時間36分17秒。

30代男子の部、777位。
20代女子の部だったらもうすこし順位上だったかもなぁと悔しい。

ゴール地点では、後輩Mがいて、写真を撮ってくれた。
あぁ、M棄権したんだな。とそのとき思った。


↑ゴールする私。この写真を友達に送ったら「シザーハンズ。笑」と言われた。

ゴールした後は、もう脚が、腰が死んでいた。
普通に歩けないし、座れない。
脚は文具のコンパスのようでトテトテとしかあるけない。

靴下を脱いでみると右足の中指、薬指、左足の中指が黒くなっていた。
そして15キロ地点で小石が〜と思っていたところにはでっかい水ぶくれができていた。
ちなみにレースから2週間弱経った今でも黒くなった足の爪は黒豆のように黒いままだ。
夏だったらサンダル履けなかったな。冬で良かったと思う。

ゴールしてから2日間は、
階段は四つん這いで上り下りし、夜寝ている時も寝返りのたびに激痛で目がさめ、トイレ、風呂、着替えすら地獄のような日々をおくった。
母には「ババアがおる」と馬鹿にされた。

↑筋肉痛が地獄だった時に書き留めておいた、痛いとこリスト。

そんな地獄の筋肉痛に苦しむ中、
後輩Mからメッセージが届いた。
「来年3月に一緒に能登でフルマラソンでませんか?私、完走できなかったので悔しいんですよね〜〜。」
途中で棄権したやつは気持ちが元気である。羨ましい。

あれから2週間経った今、
後輩Mからの熱烈なお誘いは今なお続いている・・・。

 

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