登山ガイドを目指した訳

登山ガイドを目指した訳

登山ガイドを目指した訳は、登山ガイドになりたかったからではない。山を安全に登るってどんなことか、もとしっかり知りたかったから。

 

山を始めてから山の事故の現場を見ることが何回かあった。それでも大事には至ったものはみていなかったのだが、一度だけ大きな事故があった。ただ、その現場に私はいなかった。正確に言えば、私はその場に「いるはず」だった。この事故は私の後輩がお父さんと山に行き、お父さんが滑落死するという事故だった。

 

GWにバリエーションルートに行きましょう!!と若い後輩に誘われた。その後輩とは何度かロープも結んでいたし、2人でバリエーションにも出かけたこともあった。若手同士いい勢いのある時期だった。彼の行きたいというルートは私も行ってみたいルートだった。妻の許可がおりれば行こうと思っていたし、そうだね!いってみよう!と返事もした。でも、この年は夏にエルブレスへの遠征を控えていた。だから妻にも一応相談を入れた。結果、GWくらいは旅行したいと妻の希望があり、それを通すことにした。その時は、そうだよなぁお盆休みいないもんなぁと思ったのだ。だから、後輩には悪かったが断った。

 

この時、山岳会の計画書チェックの締め切りは間近だった。後輩は私が行けなくなったかわりにお父さんを誘った。お父さんも長年山に登っているひとだ。私のかわりにパートナーが見つかって良かったと安心していた。

 

だが、事故は起きてしまった。後輩は実の父を目の前で失ってしまった。その一報が入った時、本当にやり切れない気持ちでいっぱいだった。私が行っていれば雪渓の崩落に出くわすことなく済んだかもしれない…そもそも私が断ったから?…色々な気持ちが錯綜した。でも、現実は変えようのない現実だった。すべてのタイミングが悪い方に働き、雪渓の崩落に彼のお父さんが巻き込まれ滑落したのだ。

 

山に入った時自分は一緒にいる人を守れるだろうか。どれだけリスクを排除して登山をすることができるだろうか。そう考えた時、ガイドレベルの知識、経験が必要なんじゃないかと思った。ガイドするかどうかではなく、その知識を得るために取ろうと。完璧な安全は山にはない。安全を取るなら山に行かなければそれで済むことだ。でも、これからも山に行くだろう。より安全な登山、それは自分が成長するしかないのだ。

 

 

 

 

 

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