屋久島 豪雨の記録 18 学んだこと

屋久島 豪雨の記録 18 学んだこと

ふとレオ=レオニの フレデリックという絵本が頭に思い浮かんだが、誰しも得意な事や、どこか何かで人の役に立てる秀でた事はある物だと思う。

なにも、どこかで誰かと競い合って一番である必要は無くて、ただちょっとした人の集団があれば自然と リーダータイプ、なごませ屋、アイデアマン、会計係、色々出て来るものだと思うが、自分はあの現場においては「写真記録」が自分の仕事だと無条件で思った。だからちょくちょく写真を撮り、となると現場の外部に発信するべきなのではないか、とも思った。
ただ、その発信したいというモチベーションの中には、後になって思えば大きな矛盾があったように思う。
下山不能という事が決定した時点で実際誰も命の危険にさらされていた訳でもなく、自分たちからすれば以前起きた事の延長線上、実質「さほど大した事は無い事態」だったのだが だからといって放っておかれてもちと困る。だから当初「気温が下がってきた」「腹が減った」というなんとも“かまってちゃん”な発信をしてしまっていた。
ただ、下界の色々な人たちから身を案ずるメッセージが来たり、どうも全国的なニュースになっているらしい、自衛隊が派遣されるらしい、となると 今度は登山口に残された人たちの家族に安心材料を与えるためにも発信は必要なのではないか、とつまり{心配させたい→安心させたい}全く逆な事を思い始めた。{と、同時に事態の先行きも見えないだけにタブレットの電池残量が気になって 大した発信もできなくなるのだが。}
そうして発信の意図が覆った所で 自分の手を離れた情報はまた、他のエンターテイメント性を求めた誰かの解釈を経て、99%届ける意図の無い人のもとへと旅立っていく。
結果引き起こされた風評被害と言える観光産業への打撃は、あの時の自分の行動如何でどうなったという物では無かったとは思うのだが、自分の立場上もっとしっかりとした発信が出来ていたらと悔やまれる。つまり
 〇ちょっとしたことでもニュースとなりうる事態の時はネット発信に気を付けよう。

 

この豪雨災害の後、NHK鹿児島の報道部とモメた訳だけども、〇なぜ“N国党”が台頭してきたのか〇なぜ“マスゴミ”というキーワードが生まれたのか なんだかよく分かってきた。
まぁ一つの職種や会社全体を指してその性質・行動原理を決めつけるのは偏見と呼べ、当然今回関わったマスコミ関係の人の中には良識を持った人も居たのだが、彼らの職業は特異性を持っている事に間違いはない。彼等には一夜にして誰かをヒーローにでも、極悪人にでも祭り上げることが出来る力があり、それは実質“強い権力”そのものだ。「フォースの暗黒面に堕ちて」しまう人間が居るのも当然の事かも知れない。ましてNHKにはスポンサーもおらず、「公共放送」という錦の御旗を持ったデス・スターだ。実際の所、“N国党”ごときにはぶっ壊せない。

さておき、彼ら{マスコミ}の行動原理は何より “番組が作りたい” “使える絵が欲しい”。そこに向けて最短距離をとれる人間がつまりは優秀で、それは彼らの中では一般的な常識をも軽く飛び越える事らしい。

↑この人のこのツイート{それに対する返信も含めて}、すごく良く分かる。{しかし1.2万件リツイートに1.9万件いいねって 共感者の数凄い}
今回SDカードの中身を断りなく抜いた事、使った事もそうならば 以前「〇月前半2週間あけといてください」等と言われ あけておいたら数日前になって「あ、必要なくなりました」なんてのもそういやあった。{NHK}
ともかくつまりコレだね。
 〇根本的にマスコミは それ以前から構築された関係でもない限り 信頼しちゃいけない。
 SDカードやスマホは渡さない{涙}。取材に応じるならば相手の意図を読みながら 切り貼りして都合よく使われない様に考えて、情報コントロールの目的をしっかり持って、そうできないなら それのできる人を出す。

HPVワクチン 厚労省はいつ積極的勧奨を再開するのですか?
↑子宮頸がんワクチンの話題で最近目にしたこの記事。
この中で気になったのが “「ゼロリスク」を求める日本人の国民性” “ゼロリスク信仰”というもの。
今回我々ガイドがやたらと槍だなに上げられたのは、顧客が「リスク回避」の為に金を払う商売なのにそのリスクに嵌ってしまった、という事なのだと思う。

しかし登山はそもそもリスクを0にはできないもの。
雪がある限りは雪崩のリスクがどこにでもあるというが、例えば比較的可能性の高い箇所を通過しないといけない場合はその場への滞在時間を減らす{サッサと抜ける}等してリスクを「できるだけ減らす」。我々ガイドに出来るリスク管理はそこまでだ。リスクを百分の一、千分の一にはしているが、0はあり得ない。

それでも。可能性が0ではない責任を誰かに求めたいのが日本人の国民性なのだろう。そうして奥入瀬落枝受傷事故{国立公園の木の下に設置されたベンチに座っていて 落ちてきた枯れ枝の当たった人が半身不随となり裁判で国が管理者責任を問われ敗訴、賠償した、日本の自然観光における重要キーとなる事故}の裁判結果が日本全国の自然観光をダメにした。今の縄文杉がえらい遠くからしか眺められないのもそのせいだ。

今回こうしてここに長々と豪雨災害に関するブログを書きながら「要はコレ自己弁護だよな 見苦しいかな」と我ながら何度も思ったのは確かだ。
しかしどんな職業も「ベストを尽くす」事が求められるまでは良いとしても、不確定要素ばかりの自然相手に確実性を提供しろ、その責任をとれ、というのは実際無理なのだ。
それでもそうしろ と言われれば 我々もリスク回避のためにツアー中止の確率を上げていかなければならないし、行きつく先は自然観光という産業自体の荒廃しかないのではないだろうか?

自然観光というものは、今の人間社会に必要なものだと自分は信じている。だから、
〇ゼロではないリスクに自己責任で挑むという事に普段から理解を求めていく 草の根運動
 コレ必要なのかなぁ。まぁ「国民性」だとまで言われてしまえば勝負になんないんだろうけどもね。

 

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