大事なことを忘れていた その⑧

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さて、前回は自分のしたのぐそが数か月後に
土のなかで見事になくなってしまい(土に分解され)、
そのことがわたしに強い印象をもたらした、
というところまで書いたのだった

前回も書いたのだが、
あったものがなくなってしまったことの不思議
実際に目の前からそれ(のぐそ)が消えてなくなってしまうと
果たしてわたしがしたうんこはほんとうに在ったのか
たしかにそのときは在ったけれども
数か月後にきれいさっぱりなくなったそれは
果たして在ったと言えるのか
という哲学的問いすら生まれてくるような衝撃が
そこにはあった

たしかにモノはいつか消えてなくなる
まあ、プラスチックとか金属とかプルトニウムとか
なかなか消えなかったり、消えるのに時間がかかるものは
あるのだろうけど
うんこにはじまり、自分の体もいつの日か
確実にこの世からは消えてなくなってしまうのだ
わたしたちは目の前にあるものや自分というものが
在ると信じて疑わないけれど
結局、それらはいつしか消えてなくなるのであって
それは、そのときは”在る”と言っていいのかもしれないが
長い目で見れば在ったといっても無かったといっても
いいぐらいのもののようにも思えたりする
だからといって、そのことが大したことではない、
というわけではなく
ただ、世の中ってそのくらいのものだ、ぐらいに思っていれば
生きる姿勢もなにか違ったものになるのだろうかと
ふと思ったりしたのだった

それはなにか”無常”とか“観自在菩薩”とか、
なにか禅的、仏教的なところへ結びつきそうでもあるが
みなさんも一度、試してみてはいかがでしょう?
モノ(物質)が土へ還るという瞬間を見届けられる
絶好の機会でありますし、
ひょっとすると、座禅を組んだり、お経を唱えたりしなくとも
彼岸へ渡ることができるかもしれませんよ

 

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