日本の養蚕・蚕糸のこと

これから養蚕や繭(絹)のことを書いていきますが、
聞き慣れない方もいると思うので、
ちょっとだけ詳しく書くと、
養蚕とは、桑を育て、
絹の原料となる繭をつくるお蚕さまに与えて飼育し、
繭を生産することです。
あ、お蚕さまの写真を載せますが、、
苦手な方がいたらごめんなさい。。

 

でもよく見ると、お蚕さまの背中には
天使の羽根のようなマークがあって
チャーミングなんですよー。
それこそ絹のように、赤ちゃんの肌のように、
柔らかく優しい気持ちになれる肌触り。
ぽやぽやしています。
話がそれちゃいましたが、、
日本の養蚕や蚕糸業というと
世界遺産「富岡製糸場」がある
群馬県周辺がまず思い浮かびますが、
1920年代の最盛期だった頃は
全国各地で養蚕が行われてて、
日本の経済発展を支える大切な基幹産業でした。

 

が、輸入品や化学繊維の発達などにより
養蚕業はどんどん衰退。。。
全国で220万戸ほどいた養蚕農家は、今や300戸ほどに。
繭の生産量は40万トンが130トンにと、
国産絹は本当に希少なものになってしまいました。
丸森でも、当時、世帯数の半分である
約2000戸の農家が養蚕に励み、
稲作とともに、住民の暮らしを支える大切な産業でしたが、

 

今は5戸の養蚕農家が、
高齢化・担い手不足という壁に向き合いながら
町の伝統産業を支えているのが現状です。
次回は、丸森の男前な
養蚕農家5人衆の皆さんをご紹介しますね。

あの老夫婦のように寄り添いながら最期のときを迎えたい

前回の記事のように、自転車世界一周に出会いを求めるのは間違いではなかった。気づいたのは旅の始めの方だった。だから、何とでもなるはずだった。

旅をしていると異性と出会うことは多い。日本人の集まる安宿で仲良くなれたりする。特に私は自転車の旅だから目立つ。「ブログやってるんですか、旅の行方が気になります」「情報交換しましょう」とでもいえば、簡単にメールアドレスもゲットできる。SNSも交換できる。そのくせ私は旅が長かった。名前を呼ぶときに「スズキさん」と苗字を使うとむず痒くなる。「ハナコさん」と自然と名前にさん付けができた。気になった人にはメールを送ったりもした。

出会いは豊富だった。だが、誰一人振り向かすことができなかった。自転車で同じような旅をしながら、生涯の伴侶を射止める人だっているのに。だったら、私は人間的に何か足りないのだろう。「不良品」「できそこない」といった言葉が頭に浮かんでは気が滅入る。死にたくなる。

そもそも海外を一人で周るなんて誰でも出きる。一人は楽だ。好きな時に起きて好きな所にいける。誰とも合わす必要がない。若いうちは、それでも良かった。だが歳を重ねるにつれて、不安が大きくなる。一人では生きたくない。それなのに嫌になるほど失敗する。人生で唯一のお付き合いは、2ヶ月も持たなかった。

このような散々な恋愛経験しかない男だけれど、結婚は諦めていない。一人で生きていくことが怖い。そりゃ、それなりに友だちだっている。机を囲んでワイワイ話したりする。だからといってすべてを話せるわけではない。埋めることのできない隙間がある。その隙間をひょいと乗り越えて、私という存在をすべて肯定してもらう。それが結婚かなと思っている。もちろん一方通行ではない。私だって大切な人の存在をすべて肯定する。

すべての人は必ず死ぬ。納得はできないがいずれ死ぬ。じゃぁ、どうすれば安らかな最期を迎えるかとしたら、それは愛する人を見つけることだという気がしてならない。そして、自分の子どもを育てあげること。だから、浮気や不倫なんて考えられない。大切な人を傷つけたりしたら、最期のときに笑えなくなる。ほぼ童貞をこじらせた感もあるが、死という空虚なものを前にして、たどりついた私なりの答え。

オーストラリアで見た光景は忘れられない。

西海岸を走っていると「ピッピッピーーーー」と騒がしく鳴り響くクラクション。もしかして緊急事態かも。気になって駆け寄る。ところが何も問題もなく、ただの修理だった。2組の夫婦に2台の車、彼らはここに泊まるという。「あなた、どうするの、せっかくだから一緒に夕飯もどう?」と誘われて一緒になった。オーストラリアを走るとたまにこんな事がある。焚き火を使って作られた料理を頂いた。

そして夜になる。大抵オージーはキャンピングカーを牽引している。一組はそんな感じだった。でも、もう一組の老夫婦は違った。牽引している裸のトレーラーに布団を引いて、そこで寝るというではないか。頭上を遮る物は何もない。見上げたら一面の星空。隣には最愛の人。衝撃的だったけど、何だか羨ましかった。

私もそんな2人になりたい。そして一緒に死にたい。

季節外れの雪の日に、あれこれ思ってみる

水曜日はわたしがブログを書く日と仰せつかり、そして本日水曜日、4月も10日というのに雪が降り、そうなれば、本日は4月なのに雪が降りました!と書かざるを得ません。

私の兄は3月20日生まれで、ヒロユキと言います。彼が生まれた日、3月20日だというのに雪がポッポと降る日だったそうで、それで名前を、ヒドイ雪、ひど雪、ヒロユキと名つけた。らしい。。この説は、直接両親に聞いた訳ではないのですが、西村家の都市伝説として語り継がれております。ちなみに、兄のフルネームは、西村博之と申します。本名です。今日生まれた子にも、こんな由来で名つけられる子がいるかもしれません。平成最後の年のキラキラネーム、どんな感性でつけられるのかな。

 

話はかわり、一年前の蜂の分蜂時期から、なにかが著しくおかしい気がするのは確かだ。

昨年の四月から六月始めにかけて獲った蜂の分蜂群は、全て無王だった。これは、私が蜂と暮らし始め12年で初めての出来事であり、その後の大雨と記録的な猛暑を経て、やがてくる自然の異常を蜂は知っていたのではないか?と私なりに考えたのでした。

地球誕生から46億年?大きな目で見れば大したことではなく、私が生まれてウウン十年で考えるとこれは大したことではないと言い切れるのか!?となる。現代人がなぜ、自然破壊についてどうこういうようになったのだろうと考えてみた。だって、今までの人類は、この考えがあんまりなかったから、人が原因での自然破壊はあったんだよね?きっと。もしくは、ある一方でしんかをしたが、ある一方の成長がついてこれなかったからではないか。すくなからず、私が生まれたウウン十年という、地球規模で言ったら、静電気が走った瞬間のイテテぐらいの短い中で、多くの人類の人間性が洗練という進化をはじめたのかもしれない。洗練?という表現が全てに当てはまるのか?豊かな想像力としておきます。

対人でしか考えれなかった知能から、あれ?もしかして、他にもいますよね?っとなり、もちょっと行った人は、植物とかも意思ありますよね?となり、石ころみると心穏やかになるんですよねーってな人もいたり。

人様に迷惑をかけるような生き方をしてはいけないよ。と親は子供に教え、繋がってきた今日。その対象が対人からより広義にわたり、すこしずつ子へのしつけとして繋がってきた結果、より広い視野と想像力へと繋がったのだとしたら、明らかに人類の素晴らしい進化である!と4月10日の雪の日に思うのでありました。

 

世界はどこにある?

いま、古井由吉の『槿』という本を読んでいる。
一日数ページしか読み進められていないのだが・・。

本は小さなころからずっと読んできていて、
なぜかまわりにも本の好きな人たちが多かった。
読書は死ぬまで続けたいと思うことの一つである。

どうして本を読もうとするのか?
それはそこに本があるからだ。
って、登山の好きな人ならどこかで聞いたセリフかもしれないが、
わたしにとっての本や読書は実際、そんなところがある。
日本最古の本は『古事記』だったかな?
だとすれば日本であれ、世界全体であれ、人が書いた文章、本などというものは
たかだか2000年ほどの歴史しかない。
でも、その2000年の間に人はさまざまかつ膨大な書物を作り出してきた。
「本」は、人間が作り出して残してきたものの代表の一つだろう。

そこには地球上の(いや全宇宙の)森羅万象、ありとあらゆるもの、
そして人間が考えたり、想像したりしたあらゆるものが文字となって
言葉となって書かれている。
それを、いまを生きるわたしたちは“読む”ことを通して知り、
味わい、そしてまた考える。
読書というのは、直接話すことのできない過去の人や、遠く離れた場所にいる人との
ある意味、“会話”や“議論”を楽しむ行為だと言えるのかもしれない。

この時季になると無性に山や森へ行きたくなる。
できればあまり人の手が加わっていない山や森に。
そこにはハルリンドウやスミレの仲間、ヤマザクラやアケビの花、
ホオジロのさえずりやツバメの飛翔なんかが見られ、
人の世界とは離れた場所で、でも確実に他の生命たちが生きているのが実感できる。

わたしはひとりで山や森へ行くことが多いが、
歩きながら新緑の木々や可憐な花に目を奪われ、
鳥のさえずりや動物の気配にドキッとし、
太陽の光や風のさわやかさを感じる。
それは物言わぬ彼らの声を聴きに行っている、と言えなくもなく、
「ああ今年もきれいに咲いたなあ」とか、「またあの鳥たちがやって来たなあ」
と、心のなかでそんな声に応えたりしているのだ。
これも“会話”といえば会話かもしれない。

言葉や文章も、草花や鳥のさえずりも
それはなにかの“表象”ではあるけれど、実際、それを“解釈”するのは
それを読んだり、見たり、聞いたりするその人である。

さあ、わたしたちはこの世界の森羅万象をどう読み、どう聞き、
どう解釈するのか、できるのか?
人の言葉を信じるのではなく、自分の目や耳や心で感じ、解釈すること
世界はそこにこそあるのかもしれない。

さるぞー

うなぎ釣りから川を見る

うなぎについて書いてたら、おもわず長くなってしまった・・・
文章長いぞ!


 

桜が咲き始め春がやってきた。
日中はポカポカと気温が上がり、生き物の気配をおぼろげに感じ始める。
個人的に一番好きな季節の到来だ。

となると気になるのは川の様子。
ライフワークのうなぎ釣りと、ジョブとしてのリバーガイド。
川の様子を知るという事は、どちらにとっても重要なことなのだ。

うなぎ釣りを通して川を見れば、水の流れの穏やかな”淵”に注目し、うなぎの住みやすそうな場所、水温、水質などを考える。
片や、ラフティングなどの川下りを通して川を見れば、水の流れの強い”瀬”に注目し、岩、ホール、エディ(反転流)などについて考える。

どの視点から川を見るかで得られる情報は変わってくる。

4月初旬、時期早々とは思いつつ、うなぎ釣りに行くことにした。
去年何度か釣りをした場所に行こうと思ったが、河川工事が行われ、様子や地形が変わってしまっている。大雨や台風による川の氾濫や決壊、災害対策として河川の工事が重要なのはわかっているが、川に人の手が入ると、その周りに住む生き物たちが一気に減少してしまう。
昨今、うなぎが減っているなんてニュースでやっているが、シラスウナギの捕獲量の問題や大量消費、うなぎの住む場所が減っている事、海産資源としての価値の高騰、エルニーニョなど多くの要因があり、原因は一概には言えないと思う。

うなぎが減っているから食べない。釣りをしない。
そんな思考停止はナンセンスだ。
うなぎを通して川を知り、自分で考える。
そして釣ったのなら美味しく食べる。
それが重要だと思っている。

気を付けているのは、産卵で海に下るであろう秋には釣らない。
そして釣り過ぎないこと。(と言っても釣り過ぎというほど釣れないのだけど)
これからも上手にうなぎと付き合っていきたいからこそ、うなぎが釣りたいのだ。

話を戻して釣りへ。
河川工事の入った場所の様子を確認しつつ、うなぎが潜んでいそうな場所をまた新しく探す。

下流に良さげなポイントを発見し、ミミズを付けた竿を並べた。

うなぎが一番釣れる日没前後。
夕焼けを見ながら竿先を眺める。
この時間というのが至福なのだ。

釣りを開始して一時間。竿に反応は無い。

あまりにも反応が無いので周辺を散策してみると、テトラ下に沢山のテナガエビがいた。
魚も釣れないし、次はこれを捕って、からあげにしようかな。

などと思っていたら、左から二番目の一番長い竿に何やら反応あり。
ピクンピクンと竿先が揺れている。

これは!
と思い、急いで竿まで戻りグッと合わせると、小さいが確かに糸先に何かがついているのを感じる。
やはり釣りはこの瞬間がたまらない。

15cmほどのギギだった。

釣りあげるとギーギー鳴くのでギギ。
ヒレにはトゲがあるが、小型ナマズのようで可愛いやつ。

今年川で釣った初めての魚。
これで川での釣りも始まったなぁなんて感慨深く思っていると、次は別の竿にも当たりが。

竿が大きく曲がり大物を予感させる。

こちらも負けじとグイっと大きく合わせると

お、重い、、、

これはうなぎでは無い。
それはすぐに分かった。
この重さ、すっぽんか?とも思ったが、たまに首を横に振るような動きを感じる。
すっぽんでも無いのか。

グイグイとリールを巻いて、重たい何かを引き寄せる。

白い魚影が見え、水面からナマズが現れた。
約50cmのなかなかのサイズ。
お腹パンパンのメス。

産卵期にしては時期が早いので、例年より水温が高いのかもしれないな。そんな事を考えると、うなぎが釣れる可能性が増した気がした。

しかし、このあとさらにギギとナマズが釣れたが、うなぎは釣れなかった。
やっぱりまだ時期的に早いのだろうか。でも楽しい時間だった。

ギギとナマズとテナガエビ。
鯉が泳ぎ、すっぽんが呼吸をしに水面に出てくる様子も見れた。川の生き物たちが動き始めている。そうわかっただけで大満足だった。

これからの季節、仕事でも遊びでも川には大変お世話になる。川から得られる情報をしっかり見極め、楽しく安全に関わっていこう。

これからも、川と変わ らない関係を。

なんてね。

おしまい


そんな文章を書いた翌々日、
懲りずに同じ場所へ釣りに行ったらうなぎ釣れました。
小さいのでリリースしたけど、とりあえず今年もうなぎの姿が見れたので満足。
わーい!

未確認飛行物体

空港の近くに住んでいるので、かなり間近で飛行機が見られます。空港脇に道を車で走っているときは離着陸直後の飛行機が見られるので中々の迫力なのです。

今日もそんな訳で空港脇の道を走っている時に空を見上げると謎の飛行物体が…

空飛ぶリュウグウノツカイみたいな物が!落下物といった感じではなく風に乗って浮遊してる感じなのです。

車を停めて写真を撮って暫く眺めているも浮かびもしなければ落ちもせず、かといって特に移動する様子も見られないので行こうとして10秒くらい目を離した間に消えていた。

謎だ…

山に落ち着いたヒト

初めまして、たーちんです。

山に落ち着く...

私は、仕事とプライベートと合わせて1年の半分以上を山の中で過ごしている。仕事としては、現在夏季を中心にリバーガイドの仕事をもらっている。残りの時間のほとんどは登山とクライミングに明け暮れている日々だ。最近はもっぱらクライミングである。恐らくこのブログに載せる記事のほとんどは登山とクライミングに関することになると思う。なんというか、飽き性な私が唯一続けられたのが山だった。だから、それを書こう、そう思っている。

私が登山を始めたのは約5年前だ。植村直己の「青春を山に賭けて」を読んで、何となく山岳会を探したらたまたま近くにあったので、やってみようかなと入ってみたわけだ。山を始めてみたら、体感的にこれは自分に合ってるなと感じた。あっという間にその魅力にはまり、登山の虜になった。なぜか山は飽きなかったのである。不思議なものだ。

それからしばらくして、クライミングに出会った。初めて岩を登った時、こんなにも刺激的なものがあったのか…心の底からそう思った。本当に直感的に面白いと感じたのを今でも覚えている。岩を攀じることの楽しさを知った私は、すぐにクライミングに傾倒していくことになった。まだまだ普通のクライマーの端くれであるが、クライミングを始めてからのこの4年間の経験はかなり濃い方だと思っている。すでに20ヶ所近い岩場を訪ね、多くのルート、多くのクライミングスタイルを経験している。今では、クライミングが生活の一部になっている。

 

 

これ以上書くと長くなりそうなので、とりあえず

山に落ち着いたら、それがライフスタイルになった、とでも言っておこう。

このブログで私のスタイルがどんな風に映るか分からないが、私の山の一部をアウトドアスタイルのひとつとして垣間見てもらえたら幸いである。

 

 

 

TOHOKU MIYAGI まるもりより

はじめまして。
宮城県の最南端にある丸森町で
地域おこし協力隊をしていますRINと申します。

 

協力隊になったのは3年前ですが、
丸森との出会いは、もう10年以上も前。
当時あった昔ながらの里の暮らしを味わえる宿がきっかけ。

 

薪割り、真綿づくり、畑から食材を調達したり、
竹を割ってパン焼いたり、ご飯を炊いたり、
蚊帳の中で寝ることにわくわくしたり、
太陽とともに起きて、
鳥の声や川の流れる音、木々が揺れる音を感じて、

大地や自然がこんなに近いことを、
こんな里の暮らしが今も残り、
人の繋がりや温かさを挨拶や言葉で伝え合うことを、
そしてそれをみんなが当たり前にやっていることを、
心から、すごいな。
って、感動したことを今も覚えています。
忙しい現代の中で生活していると、
ついつい忘れちゃう人間本来の生き様が
こうやってここには根付いている。

 

すっかりハマってしまって、
通うようになり、そうしている間に
住まいも仕事も決まっちゃいました。
花のつぼみが春の訪れを、
稲穂の香りが夏の暮れを、
金木犀の香りに秋を感じ、
お母ちゃん達の保存食作りの光景とその乾物の香りに
寒さだけじゃない冬の美しさに感謝する。
季節を感じながら暮らせるって
なんて豊かなのだろう。

 

ここに投稿されている
7sメンバーもきっと
そんな自然のリズムとともに生きているのでしょうね。

この自然とともにある
当たり前の暮らしが幸せだってことは、
あの東日本大震災が改めて教えてくれました。

 

母親の実家が石巻市で水産業を営んでいたため
その再興を手伝おうと一度丸森を離れましたが、
丸森は私にとって大切な存在になっていたのですね。

 

今の丸森に私ができることってなんだろう。
と生意気ながらに考え、通い続け、
そうしている間に協力隊のお誘いを受け、丸森に復帰。
協力隊のミッションとは別にプライベートで取り組んでいるのが
プロフィールでも書いた
養蚕・絹・織文化の作り手の皆さんとの活動です。
ここには、このことを綴っていきたいと思います。

 

なんだか1回目から長くなっちゃったけど、、
最後まで読んでくれてありがとうございました!

 

これからお付き合いのほど、
どうぞよろしくお願いします。